ちゃんと更新してますよ、奥さん。
今日は五反田団を見て、伊坂とカラオケに行く。
本当に半年振りくらいにカラオケ行ったなーと思う。
さてさて。
五反田団は、正直よくわかんなかった。
というよりは、最近三鷹に芝居を見に行くたびに思う、
あの劇場の広さ。
美術空間のうまさでいえば、
サンプルのカロリーの消費と、スロウライダーのアダムスキーが双璧かしら。
というより、やっぱこの劇場はとてつもなく大きいところだった。
と、しみじみ。
いろんな関係者の人にあって、
ああ、お久しぶりです、と。なる。
いろいろ頑張らなくっちゃな、と気を引き締める。
帰りにてくてくうだうだ話しながら、色々整理がつく。
彼は言葉をすごく慎重に選ぶ分、早くはないが、ロスも少ない。
クレバーだと思う。
ああいうのって自分の周りには珍しくて、ちょっと興味深い。
どうしても(自分も含めて)会話(というよりはもはや議論か)は
熱を持てば持つほど早くなっていく傾向にあって、
まあそれは私生活だけでなく、稽古場でも起こっていることだ。
うちの稽古場は、
僕が(自覚あり)結構速いスピードで、しかも膨大な数の語を使うことがあって、
だから結果として
スピード重視の稽古場になってしまうことがよくある。
速度至上主義みたいなところでやってきてしまっていると感じさえする。
(製作時間の短さを思えばある意味しょうがないことだとはいえ)
それだけじゃあんまり効果がない、というよりは
効率だけを求めても仕方ないものなんじゃないのか、演技なんて、
って思ったりする。
僕はすぐカリカリしてしまうので、
結構演出の上書き頻度が高いほうなんじゃないかと思う。
「はい、これ」「じゃあ、これ」「なら、これ」
待つことの大事さ、って言うか、
いや、そんなの昔から分かってるつもりではあるんですが、
腰をね、すえてね、やりたいもんですよね。
どっしりと。
にしても彼は平気でものすごく長い沈黙を作ったりして、
なんだけど僕はあんまりそれが不快でもなく、
なんだか「そうよねえ」みたいになる。
不思議だなー、って思う。
ちょっとささくれてるときほど、ちょっとこっちが拍子抜けしてしまうような
彼の生態リズムに、与しやすくなる自分がいる。
なんだか不思議だ。
結局はなしはナンシー関あたりに落ち着いたのだが、
どうでもいーけどナンシー関が今熱い。
信仰の現場、というタイトルの文庫本なんだけど、
コンセプトはタイトルそのままに、
「信仰(=傍から見るとけっ、とかうわっ、とかいっちゃいそうだけど、はまってる人々にとっては死ぬほど居心地が良い、ということ)の現れる現場に潜入して密着レポる」
というものなんだけど、
これを井の頭線の中で読んじゃったせいで、
ずーっとにやにやしてる気持ち悪い人になってしまいました。
でもね!これその現場のチョイスが絶妙すぎる!
たとえば、
「ウィーン少年合唱団のコンサート会場(=彼らの追っかけのルポ)」
「毒蝮三太夫のラジオの公開録音会場(=毒蝮のファンの爺さん婆さん)」
「矢沢永吉の地方コンサート会場(=いわずもがな)」
みたいな。
いまさらナンシー関ってどうなのよ、って感じなんですが、
いや、ぜひ、読んでみてください。
ナンシー関の回し者でした。